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大田区南馬込1-9-1先, 東京都, Japan
社会福祉法人つばさ福祉会のホームページにようこそ! 当法人は、宮崎県西都市に法人本部を置き、昭和6年創業の保育園や、通所介護施設、子育て支援施設や学童クラブを運営しております。 また、待機児童解消の使命に応えるべく、新設保育園の創業や経営のノウハウ修得に努めてきました。 このたび、平成23年4月に東京都大田区南馬込に、JR東日本とのコラボによる新設保育園を開園することになりました。 社会福祉法人として各地域に根ざした事業を行いながら、広域法人として必要な地域に必要な福祉を提供する使命を果たすべく、利用者主体の福祉サービスの提供とその専門性やサービスの質の向上に取り組みます。

2012/04/25

「噛みつく」という表現


子どもは私たち大人と同じく「思い」で行動します。子どもは、不快や悲しみを感じれば涙を流して大声で泣き、うれしいときには笑顔で全身を使って喜びます。そういう思いの表現のひとつに「噛みつき」という表現があります。

この表現と子どもの思いの関係については、たくさんの研究が行われてきました。その結果は、不快や不安、怒り、欲求、興奮、甘え、愛情、興味などの思いを子どもが表現できなかったり、表現しても大人や周囲の他人に受け止めてもらえなかったりすると、噛みつく表現が増えるというものです。よって、この子どもの思いをありのまま受容し、満たしてあげることが大切になります。

満2歳以下の子どもに「しつけ」は必要ないといってよいでしょう。何より必要なのは「愛されているという強い実感」です。
 上記の子どもの思いや感情は、まだ幼い子ども自身では解消したり満たしたりできません。これを大人(親や保育士)が満たしてあげることで、子どもは「人に愛されること」を実感します。そして満たされて喜び安心する子どもに、親や大人が温かく優しい微笑みの表情を向けて、おだやかに子どもを抱いてあげることで、子どもは「快感表現」を身につけて、愛されていることを強く実感できます。この親や大人との「愛着関係」が、2歳くらいまでにしっかりできていれば、子どもの噛みつきは必然的に減っていくでしょう。


また、噛みつきには子どもの成育環境も影響します。睡眠不足、家族間の人間関係が良好でない、子どもに無関心(過干渉)などの環境下では、子どもに噛みつきが多いようです。私たち大人がより良い成育環境を整えることは大切です。


もうひとつ、家庭で子どもが親や兄弟に噛みついた時、親が感情的に怒るなど激しく反応すると、子どもは恐怖や興奮を感じさらに噛みつくそうです。そんな時は、冷静に痛そうな顔や悲しい表情で「痛いから嫌だ」と子どもに伝えましょう。大好きな親が悲しむ顔は、子どもも見たくないので効果的なのだそうです。


噛まれたお子さんはとても痛い思いをし、親はとても心配になります。私たち保育者も可能な限り未然に防ぎ、噛みついた時には「それはいけない」と繰り返し伝えていきます。
そして、園と家庭が連携して子どもの思いを満たし受容して、しっかり愛着関係をつくり、子どもに愛されていることを強く実感させてあげたいと思います。

表現するということ


最近、子どもが「表現する」ということを、大人が誤解している場面によく出会います。
子どもの「表現」には、笑う・泣く・怒る・わめくなど感情の表現や、走る・歩く・見るなど行動の表現、また、他者の思いや行動等を演じ、見たもの感じたことを絵で表現するなど、その方法はいろいろです。これらの「表現」においては、本人の「自発性や主体性」、その本人の経験値や成長度合いなどによる「個体差(個性)」があって当然であり、その子どもらしい表現が大切です。

この「表現」の源は「心の動きやあり様」です。とりわけ子どもは「表現せずにはいられない存在」ですから、うれしいときには声を上げて飛び跳ねる子、口元がにやけるニヒルな表現をする子などいろいろでしょう。その表現がその子らしさであり、その表現をありのままに受け止めてくれる身近な養育者がいてはじめて、他者の思いや表現を受け止め、共感することができるようになります。
そのような成長の過程では、まず一人でみたて遊びやごっこ遊びを楽しみ、やがて複数の子どもとお互いに役を決め、それになりきって遊ぶ高度なごっこ遊びや寸劇遊びに発展します。しかし、まだ役の気持ちや状況を理解するには至っていません。なので、急に話が飛んだり、場面が勝手に展開されたりで、脈絡ないごっこ遊びや寸劇になりやすいのです。

 しかしこの過程で、子どもは言葉や感情を表情や行動などで表現することを体験し、気持ちと表情、言葉の抑揚、感情と行動などを整合させていく体験をします。やがて、そのような体験を活かし、実生活においても上手にさまざまな表現が出来るようになります。
表現することで人との関係を紡いでいく心地よさや大切さを、身をもって理解していく。「表現する」ことはそれほどに子どもにとってとても大切な成長要素で、その「表現の自由」こそが、その子どもの「らしさ」や「創造性」を高め、それを受容されることで「自己肯定感」や「他者肯定感(共感)」が育ちます。

ある保育園で発表会の練習を見ましたが、年長児の「かさこじぞう」劇は、抑揚あるセリフや身体の動きが小学生レベルで驚きました。しかし、恥ずかしがる子、うまく言えない子も居ました。その後、うまくできなかった子はもう一度そのシーンのおさらい練習。そのうちある子どもが「もう遊びに行っていい?」と発言したのです。
園長や担任の話では、演目や楽器や役柄などは、子どもに希望は聞くが適性や習熟度ですべて大人が決めるそうです。

大人はつい「出来映え」を求め、子どもにいろいろと仕込もうとしますが、それは子どもを使って大人の満足を表現しようとする行為で、乳幼児期には厳に慎むべきです。主体的に「表現する」ことと「表現させる」ことは違います。「出来映え」よりも「表現の過程で、何がどう育ったか」という子どもの成長の本質をみて受容し、しっかり肯定していくことが創造性や自己肯定を育むことにつながります。
私たちは、子どもの自発的かつ主体的表現を大切に、豊かな表現ができる遊びの体験を増やしてあげたいと思います。

教育が問われている

 学校教育の在り方が問われています。受験による「競争」があるから子どもは学ぶと、受験商売に手を染めたマスコミ系教育家たちは子どもを愚弄します。
 大阪市ではアメリカの失政に倣った学校教育改革。学級崩壊など学校の問題は教師の力量や子どものしつけが原因として、教師や子どもがそれぞれ評価し合う関係をつくり、より良い評価のために競争させる。受験やOECD調査などの結果を「悪い」とし、その原因を分析、研究せずに、とにかく「良い」結果を出すために競わせる。
 このような教育の世界で、子どもたちは楽しく生き生きと、主体的に「学ぶ」でしょうか?

 乳幼児期の子どもは「学ぶ」ことに意欲的かつ主体的であり、それをとても生き生きと楽しみます。乳幼児期は「遊び」だという人がいますが、小学校以降の学校教育が「学び」のすべてと勘違いし、乳幼児期の学びを理解していません。「学び」は興味や意欲を土台に生涯ずっと続くものであり、生涯学ぶことで人間は発展してきました。学校教育はその基礎や過程であり、決して受験や良い評価のためにおこなうものではありません。

 乳幼児期は小学校以降の教育の基礎たる身体・情緒・認知・態度など能力を、興味や意欲を満たす「遊び」や「生活」をとおして身につけるとても重要な時期です。具体的には、
人を信頼し、他者との関係を築く。
感性を磨き育む。
他者の心に共感し自分の事として考える。
自分の考えや人の考えに触れ理解しようとする。
様々なモノ・コトに触れて興味や関心を持ち、不思議に思ったりなぜだろうと問いを立てたりして自分なりに解決しようとする。
困難に立ち向かい挑戦的に生きようとする。
自己決定し忍耐強くやり遂げようとする。
他者と協力しながら物事を成し遂げようとする。
様ざまな矛盾や不条理に気づき解決しようと挑戦する中で学ぶ。
等々、子どもは「生活」や「遊び」の中で体験的に学ぶのです。

この過程で、子どもはできなかったことができるようになって意欲が増し、さらに試み、挑戦する中で文字や数字、道具などの知識や文化などに出会い、それらを使って試みや探求を続けて、さらにできるようになるという「学びの本質的な楽しさや面白さ」を体験的に理解していきます。だからこそ、さらに学びたいと意欲が生まれ、知識や能力を身につけようと小学校以降の教育や学習に主体的かつ意欲的に取り組むようになるのです。
 生活が、遊びが学び。営みの中に生き生きと伸びやかに、豊かな体験をとおして子どもたちが意欲的に育ち、学ぶ場と機会を大切にしていきたいと思います。